職人コラム11・日本製の家具工場の歴史と変化・昭和編


こんにちはオーダー収納組み立て家具Hikaricraftです^^

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当店は親の世代から家具製造の世界にいるスタッフがいます。
その話も含めると歴史としてはもう50年ほどになります

現代家具と昔の家具はどう変化していったのでしょうか
作り手の目線でお話していきます

日本製の家具工場の歴史と変化

私が小さい頃父親が今で言う家具工房をしていました。
いろんな仕事をしていましたが
記憶に残っている商品は地元の夏祭りの山車です。
それを作っていたのを子供心に記憶しています。

仕事場では職人達が仕事をしていましたが、
下っ端の仕事はニカワを溶かす事でした。
ニカワは今で言う接着剤の事です。

常温では固形なので火でお湯を作りそこにニカワを入れた
容器を浮かべて溶かしていました。
非常に強固な接着剤で一度付くと中々とれません。

今のゴム系の接着材が一番近いですね。
父親は土曜も日曜日も無くいつも働いていた記憶しかありません。

工場の横には木場がありいろんな木が縦に干すようにおいてありました。
それを切って削って組み手を作ったり
釘で打ちつけて形にしていったようです。

まだプリント合板などは無く表面をベニヤ板で
作り仕上げにつき板を貼って塗装して仕上げていました。
いま思うとかなり手間ヒマ掛かったと思います。

メラミン合板が出始めて表面を塗装しなくていいので
かなり使われるようになりました。
しかし、メラミンはその当時から
そりの問題が有って職人はみんな苦労したようです。

そのうち全国的にも家具メーカーがたくさん出来てきて、
そこからの依頼も多くなりました。家具工房がメーカーの家具を作るか、
建具に転向するか、店舗改装を仕事にするか分かれるようになりました。

当社はメーカーの家具を生産する方向で決まったようです。
メーカーは全国の家具問屋に向けて営業して
家具問屋は地域の家具屋に家具を卸して
地域の家具屋が一般のお客様に家具を販売していました。

今では考えられないくらいたくさんの会社を通って
家具が販売されていました。消費者の顔がまったく見えない状態ですね。

でも作れば作っただけ売れる世の中でしたので、
食器棚とかテレビ台とかタンスとかが多かったように思います。

あるときカジュアルなドレッサー(女性向け)を作り始めたところ、
かなりの反響があり一日に150台ほど生産していました。
それでもすぐに倉庫が空になってしまうので増産をしているうちに
いろんな工程の改善がされて記憶にある最盛期は
一日で500台を生産したこともあります。

工場の中は分業制でそれぞれの工程をみんな責任を持って
間に合うように一生懸命作っていました。
塗装のない商品でしたが、一日に出来る数は信じられない数字でした。
毎日トラックでメーカーに運ばれていく家具を見ながら
夕方になると達成感があったのを覚えています。

続く


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